第21回 第2部 『勃興期 1950年〜60年』 貸本屋ブーム
『墓場鬼太郎』
第2部に入り6回目です!
時代は1950年代の日本!
朝鮮半島では共産主義の北朝鮮と資本主義の韓国の間で
朝鮮戦争(1950〜1953年)が勃発!
それを契機にどん底だった、日本経済が復活を果たします。
そして戦争により、日本の統制どころでなかったアメリカは
日本の主権回復へ政策転換を余儀なくされるのです。
赤本マンガ
1950年代、少年向けのマンガの台頭が始まりました。
そして、当時の子供達の間で人気があったのは赤本マンガです!
赤本とは当時、駄菓子屋や露店などで売られたマンガです。
表紙は安物の赤茶けた紙が使われたことから
この名前がついたと言われています。
赤本のマンガ家は、素人やマンガ家の卵など幅広く
今で言えば、同人誌に近いのかもしれません。
ちなみに手塚治虫さんは赤本から、その名を広めることとなります。
赤本マンガは1948〜1950年にピークを迎え
その後、少年マンガの台頭と共に姿を消します。
赤本マンガから貸本マンガへ
赤本の衰退と共に赤本マンガ家や出版社は
貸本屋へと引き継がれていきます。
貸本屋とは、50年代の日本でたくさん存在した有料の図書館です!
現代で言えば、レンタルビデオ屋や漫画喫茶の部類に近いと思います。
貸本屋の当初は小説や娯楽雑誌など貸し出していたそうですが
次第に貸本屋の多くがマンガのみを貸し出すようになったそうです!
当時、マンガは200円ほどしたそうですが
10円ほどでマンガが借りれるとのことで、貸本屋は
お小遣いの少なかった子供にとってはお手軽な娯楽でした♪
貸本屋に集まる若手マンガ家
そして、貸本屋のもう1つの大きな特徴として
貸本屋専用のマンガを描く貸本マンガ家が生まれます!
その多くは大手マンガ雑誌に連載を持てない
20代の若いマンガ家達が中心でした。
彼らは積極的に貸本屋で自身の作品を発表し
その後の少年マンガ誌などの人気作家にまで成長します。
貸本屋の有名なマンガ家は
『ゲゲゲの鬼太郎』の水木しげるさんを始め
『ゴルゴ13』のさいとう・たかおさん
『カムイ伝』の白土三平さん
そして『ルパン3世』でお馴染みのモンキーパンチさんが
当時は加藤一彦のペンネームで作品を書いています。
また、「トキワ荘グループ」からも
『天才バカボン』の赤塚不二夫さんなどが
積極的に作品を発表します!
貸本屋 『墓場鬼太郎』(1960年)
後の『ゲゲゲの鬼太郎』 絵が怖すぎ
劇画の誕生
貸本屋では『劇画』と呼ばれる新しいジャンルが生まれます。
劇画とはよくアンパンマンみたいな正義のヒーローが
悪を倒してめでたしめでたし♪っと言った善導主義ではなく
暴力やセックス、憂鬱(ゆううつ)などの人間の負の部分を描く
ストーリーに、よりリアルで写実的な作画が特徴でした!
劇画の第一人者は『ゴルゴ13』のさいとう・たかおさんです!
劇画の登場は多くのマンガに影響を与え
特に少年マンガを卒業した青年を中心に人気を集めます。
その影響は一時期、手塚治虫さんの人気を低下させるに至ります。
「手塚治虫の時代は終わった」
と世間では揶揄(やゆ)され、手塚さん自身のスランプと重なり
一時期、ノイローゼになるほど苦しんだそうです。
劇画の手法はギャグマンガや少年マンガにも幅広く取り入れられ
現代では劇画とマンガの区別はほとんどなくなりました。
この時代に、もし『スラムダンク』が登場してたら
間違いなく劇画のジャンルになっていたと思われます。
『ゴルゴ13』(1968〜連載中)
ビッグコミックで連載を始め長期連載中!
『墓場鬼太郎』と水木しげる
さて、貸本屋では怪奇マンガと呼ばれるジャンルも生まれます。
怪奇マンガの第一人者が『ゲゲゲの鬼太郎』の水木しげるさんです!
貸本屋では『墓場鬼太郎』を4巻分を連載し
後の『ゲゲゲの鬼太郎』の基礎が出来上がります。
ところが、水木さんが所属していた兎月書房との間に
原稿料未払いのトラブルが発生!
怒った水木さんは三洋社に移籍して
『墓場鬼太郎』の続編『鬼太郎夜話』の連載を開始。
しかし、兎月書房は竹内寛行さんによって引き続き
『墓場鬼太郎』の連載・出版を続けます。
当然、水木さんが抗議しますが、兎月書房は取り合わず
竹内版『墓場鬼太郎』は19巻(15巻分)まで出版するに至ります。
その後、水木しげるさんの『ゲゲゲの鬼太郎』の大ヒットにより
正当な鬼太郎の続編は水木さんであることが一般化します。
竹内版『墓場鬼太郎』は偽・鬼太郎と評価される事となり
その複雑な著作権問題により、現在まで復刻出版がされず
幻(まぼろし)の鬼太郎マンガとなってしまいます。
竹内版『墓場鬼太郎』(1960〜61)
う〜む・・・見た目はびみょ〜かも
少年週刊誌の創刊
1950年代の後半になると
現在の少年週刊誌の創刊が相次ぎます
59年には『少年マンガジン』が創刊!
60年『少年サンデー』創刊!
そして1968年に『少年ジャンプ』が創刊します!
週刊少年マンガ誌の台頭は日本マンガの新たな
成長段階に入ることになったのです!
少年サンデー創刊号 1959年
長島茂男さんが表紙を飾っていた。
しかし、マンガの影響力が大きくなると同時に
日本ではマンガに対する厳しいマンガ批判の
嵐が巻き起こります!
この続きはまた次回!
2006年12月19日制作
勝手ながら下記のHP・文献を参考に書かせて頂きました。 ありがとうございました! 「現代マンガの全体像」 双葉文庫 著・呉智英 http://www.starleaf.net/~airami/index.html フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 http://ja.wikipedia.org/wiki 原田 実 Cyber Space 水木しげる・鬼太郎研究のタブー? http://www.mars.dti.ne.jp/~techno/ 『のりっぷ堂本舗』 竹内寛行版『墓場鬼太郎9』 http://www.geocities.jp/norin/ |