第23回 第2部 成長期 1970年〜80年 少年誌・群雄割拠









『こちら葛飾区亀有公園前派出所 』








70年代に入ると日本経済の発展は高度経済成長から


73年の
石油ショックでの停滞を経て安定経済成長期に入ります。


過激な学生運動も内部分裂から徐々に低下します。




そしてマンガは借りて読む物から、買って読む物に
ニーズに変わり


少年誌が飛躍、シェアを巡り激しい競争を繰り広げます。




貸本屋はその役目を終え、急速に姿を消すこととなるのです。










劇画の雄 少年マガジン




少年マガジン
の創刊は1959年!


特徴としては、
編集者側の主導が強く、マンガ家の作品に対し


注文をつけたりすることが多かったそうです。




この頃は
「泥臭さ・社会性のマガジン」と言われ


劇画スポ根を中心した多くのヒット作を生み出し


70年代始めまで最大の
少年誌としてマンガ界を引っ張ることになります!





少年マガジンが方針を転換したのは1965年の
「W3事件」が挙げられます。




手塚治虫さんがマガジンで連載中だった『W3(ワンダースリー)』


たった
6回で打ち切ると言う出来事がありました。


怒った手塚さんは、ライバル誌の
少年サンデーで連載を継続します。





これは当時のマガジンの編集者が台頭していた
劇画路線


明確化にするため、
古典的手法手塚さんを追い出す形になりました。





そして、
『ゴルゴ13』さいとうたかおさんなどの劇画を得意とした


マンガ家を起用し
『あしたのジョー』『巨人の星』などの大ヒット生み出します。





70年代初めには発行部数を
150万部まで増やし劇画全盛期を迎えますが


70年代後半になると劇画の
マンネリ化と共に発行部数が低迷します。




一方、
「W3事件」以降、冷却化した手塚さんと少年マガジンでしたが


74年に和解し、9年ぶり
マガジンにて『三つ目がとおる』を連載します。







『三つ目がとおる』 74〜78年
劇画ブームで低迷した手塚人気が徐々に復活を果たす。










ベテラン重視の少年サンデー




少年マガジン
と同じく1959年に少し遅れて創刊。



「都会的な清潔感のサンデー」

と呼ばれる
少年サンデー




実績のある
ベテランマンガ家を多く起用し、いきなり打ち切られる事は少なく


息の長い
長期的な連載が多かったのが特徴でした。




創刊当初は
手塚治虫さんを始め、藤子不二雄赤塚不二男など


トキワ荘グループなどのマンガ家を起用し、『おそ松くん』『おばけのQ太郎』など


子供向けギャグマンガを中心にヒットを生み出します。




68年には
100万部を維持するようになり


70年に入ると、それまでの少年マンガ路線から
中高生向けにシフト


『がんばれ元気』(小山ゆう)『まことちゃん』(某図かずお)が大ヒットを記録。




実績にあるマンガ家を多く起用した少年サンデーは
安定した人気を誇り


70年代後半に人気の
低迷した少年マガジンを抜き去ります。






『まことちゃん』(某図かずお) 76〜81年
下ネタ・エロネタが満載!「グワシ」のギャグが流行に。










熱血感の少年ジャンプ




少年ジャンプの創刊は68年と
サンデーマガジンに比べて

後発のマンガ雑誌でした。



そのため、
人気のマンガ家はほぼサンデーやマガジンを始めとする

ライバル誌に抑えられてる状況だったのです。




そこで、
ジャンプがとった方針は新人マンガ家を積極的に起用し


「アンケート至上主義」と呼ばれる方式でした。




これは、毎週送られる
読者アンケートの集計から人気の無いマンガは


新人・ベテラン関係なく容赦なく10回で打ち切ると言う過酷なシステムでした。




この方針が功を奏し68年には
永井豪さんの「ハレンチ学園」


本宮ひろ志さんの「男一匹ガキ大将」大ヒットを記録!




少年ジャンプはわずか3年で
115万部まで発行部数を伸ばし


73年には少年マガジンを追い抜き、79年には
280万部


少年誌の王者として、マンガ界を君臨することになります。





ちなみにこの当時連載された作品は


『アストロ球団』
(中島徳博) 『はだしのゲン』(中沢哲治)

『プレイボール』(ちばあきお) 『東大一直線』
(小林よしのり)

『こちら葛飾区亀有派出所前』(秋山治) 『リングにか
けろ』車田正美)




など、後のマンガの
黄金時代を支える

新しいマンガ家を次々と輩出することになるのです。






『こちら葛飾区亀有公園前派出所 』(76〜07年連載中)
30年間一度も休載が無しと言う最高連載記録を更新中!







70年代 主なマンガ雑誌の勢力図













『ハレンチ学園』騒動




さて、
『デビルマン』『マジンガーZ』でお馴染みの

マンガ界の巨匠・
永井豪さんですが



彼は少年ジャンプに68〜72年に渡って連載された


『ハレンチ学園』が出世作となります。



ストーリーはハレンチ学園を舞台に
エッチな教師と


それを
冷やかす生徒達を描いたギャグマンガです。


ヒロインの
なども登場するなど、ちょっとエッチな内容でした。




『ハレンチ学園』は社会的に大きな反響を呼びおこし


当時、
「モーレツごっこ」なる遊びが流行ったそうで


ガキンチョの間で女の子のスカートめくりが大流行したそうな〜





その現象がメディアに
批判的に取り上げられ


それに呼応した
婦人団体PTAからも批判の声が上がり



「少年ジャンプ不買運動」

にまで事態が発展するに至ります。




しかし、当時の
少年ジャンプ側はなかなか骨があったようで


抗議を受け付けず、
『ハレンチ学園』の連載を続けます。



もし抗議を受け入れ、表現を自粛していたなら、


後のジャンプの
発展はなかったことでしょう。




そして、
永井豪さんはその批判を逆手にとり


『ハレンチ学園』はマンガ史に残る衝撃なラストで第1部が完結。




このラストは
ギャグマンガの枠を超え、マンガに批判的だった


PTA圧力をかける側に対する強烈な皮肉を訴えたものとなりました。




『ハレンチ学園』のラストは、後の『デビルマン』など


永井作品の方向性を決定することとなります。






『ハレンチ学園』 68〜72年
後の永井作品の方向性を決定付けた。











70年代はマンガ雑誌が爆発的に増え


少女マンガ雑誌エロマンガ雑誌などの雑誌も登場します。


ただ、そこまで語るの長くなりすぎるの
ハショリます。




そして70年代が終わり、マンガは
黄金時代へと向かうのです。





次回へ続く!




2007年 1月08日 制作


勝手ながら下記のHP・文献を参考に書かせて頂きました。

ありがとうございました!


「現代マンガの全体像」 双葉文庫
著・呉智英


http://www.starleaf.net/~airami/index.html


フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

http://ja.wikipedia.org/wiki


オレ流ホームページ
「オレ流少年ジャンプ論」


http://oreryu.eco.to/





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