第24回 第2部 黄金期 1980年〜90年 少年ジャンプの独走
『ドラゴンボール』
80年代に入ると社会主義国のソ連の凋落が顕著になります。
70年代の石油危機を乗り越えた日本はイケイケ♪の時代へ突入!
日本製の車・半導体・家電製品が世界市場を席巻!
ソニー、トヨタがアメリカ市場の成功を機に世界的に躍進します。
83年には任天堂のファミコンが登場し、パソコンも普及し始めます!
この頃になると、日本マンガ・アニメは国内にとどまらず
アジアやヨーロッパなどの海外での進出が見られるようになるのです。
少年ジャンプの独走
『友情・努力・勝利』の単純明快路線の少年ジャンプの勢いはとまらず
83年には発行部数は400万部と驚異的な数値をたたき出します。
そして、89年には500万部を突破!
ライバル誌を圧倒的に突き放し独走状態に入ります。
ちなみに当時連載されていたマンガは
<80〜90年代の主なジャンプマンガ>
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・・・そうそうたるマンガが名を連ねています。
並べて見てみると凄いですね(笑)
『Dr.スランプ』のアニメ化
少年ジャンプに転機が訪れたのは81年
この頃、連載中だった鳥山明さんの
『Dr.スランプ』にアニメ化の話が持ち上がります。
当時の出版社の間ではアニメ化すると
アニメを見た読者はマンガを買わなくなる
との考えが一般的だったため、親会社の集英社は消極的でした。
しかし熱心だったフジテレビに集英社が折れる形で実現します。
ところが、これが予想を超える相乗効果をもたらします。
81年から放送が始まった『Dr.スランプ アラレちゃん』は
視聴率を36.9%をマーク!
単行本と雑誌の売上はもちろんのこと
キャラクター商品や版権収入などが莫大な利益をもたらし
これ以後、集英社は積極的にアニメに乗り出すのです。
『Dr.スランプ アラレちゃん』
「んちゃ!」「キーン!」が流行語に。
ドラゴンボールの連載
日本国内で累計発行部数は1億部以上!
世界でも大人気の鳥山明さんの『ドラゴンボール』
は84年に連載が始まります!
『ドラゴンボール』の誕生のきっかけは
前述のアニメ化され大人気となっていた『Dr.スランプ』
のネタが尽き、連載を終わらせたかった鳥山さんが
連載を終了を渋るジャンプ側と交渉し
新作を連載することを条件に連載終了の許可を得ます。
こうして連載前からアニメ化も決定し、会社の期待を一身に背負って
『ドラゴンボール』の連載が始まります!
5週連続でカラーという超・VIP待遇!
当初は行き当たりばったりの冒険・ギャグ路線だったんですが
期待とは裏腹に人気はさっぱり・・・
「主人公が地味だから受けない」
と、当時の担当編集者・長島さんに指摘され
その後、「強さを求める主人公」をテーマに
格闘路線へ変更したところ人気が爆発!
ジャンプの黄金時代を支える作品にまで成長します。
ただ、その絶大な人気は鳥山明さんの個人の枠を超えて
後に大きな波紋を呼び起こすことになるのです!
『ドラゴンボール』(鳥山明)
累計発行部数は1億2600万部・・・もはや説明不要。
「アンケート至上主義」その問題点
さて、話は変わって
前回に解説したジャンプ躍進の源でもある
ジャンプの方針「アンケート至上主義」なんですが
これは問題点が無いわけではありません。
毎週読者アンケートで、人気無い作品から新人・ベテラン問わず
10回で打ち切られると言う過酷な制度は
人気低下を恐れて、主人公達が苦しむ場面が描けないなど
短期な人気に走り、作品がワンパターン化してしまう傾向があります。
更にジャンプでは、デビュー条件として専属契約と言う
ジャンプ以外の他誌で作品を発表できない契約をするため
一度打ち切られると、契約期限が切れるまで他誌に発表できず
マンガ家さん達が路頭に迷うことがざらにあるそうです。
この様な過酷な制度が大きなプレッシャーとなり
精神に異常をきたし、潰れるマンガ家さんも少なくないとも聞きます。
他にも伝説的に打ち切れたマンガとして
『聖闘士星矢』や『リングにかけろ』でお馴染み
車田正美さんの『男坂』なんてものがあります(笑)
これは超・有名サイトの『a Black Leaf 徒然草』で
ネタにされていますので
興味のあるかたは下記にて是非ごらんください♪
最強の硬派マンガ「男坂」
伝説の打ち切りマンガ!
サンデーとマガジン
さてさて、小・中学生に圧倒的な支持を誇る少年ジャンプに
ライバル各誌は路線の変更を余儀なくされます。
80年代からも低迷していた少年マガジンはヤンキーマンガに
力を入れ始め、「不良が読むマンガ雑誌」と呼ばれるなります。
ちなみに当時は『バリバリ伝説』が人気がありました!
一方の、少年サンデーは少し高めの年齢層を狙い
『うる星やつら』『タッチ』などのラブコメ路線がヒットします!
『タッチ』は累計1億部を売上げ大健闘!
サンデーの発行部数は200万部まで上乗せ善戦しますが
少年ジャンプには遠く及びませんでした・・・
『タッチ』(あだち充)
スポーツとラブコメの王道が誕生した!
ヤング誌の創刊
80年代に入ると、マンガの多様化が進み
大学生などのを狙ったラブコメ路線の
『ヤングジャンプ』『ビッグスピリッツ』『ヤングマガジン』
などのヤング誌が相次いで創刊!
そして、30代のホワイトカラーをターゲットとした
『モーニング』『ビジネスジャンプ』も創刊!
それまでのマンガは子供の市場と言う考えから
30代・40代の大人向けマンガ市場が
注目を集めることになったのです!
解説マンガの登場
この流れを受け、マンガ界の巨匠・石ノ森章太郎さんが
86年に『マンガ・日本経済入門』を発表します!
大学教授などの知識人から監修を受け
経済学をマンガで解説すると言う新しい試みでした。
当初は石ノ森さん本人も売れるとは思っていなかったんですが
これが異例のベストセラーを記録します!
これ以後、法律、自然科学、宗教、古典などの類似本が
相次いで出版されるようになります。
これらは情報マンガ・解説マンガと呼ばれ
大人向けの学習・教養の分野まで、マンガは一般化する様になったのです。
『マンガ 日本経済入門』石ノ森章太郎
マンガ世代がオヤジにまで浸透していることが明確になった!
80年代のマンガ勢力図
1989年 マンガ界では大きな出来事がありました。
マンガ界の巨匠・手塚治虫さんが胃がんのため
享年60歳でこの世を去ることとなります。
戦前からマンガ家を目指し、日本マンガに多大な影響を与え
発展に関わったその貢献は計り知れません。
そして、日本マンガは新たな時代へと進む事になるのです!
手塚治虫(1928〜1989)
享年60歳 日本マンガ界の巨星堕つ・・・
以上です!
あと、毎回の様に参考にさせて頂きました
呉智英さんの『現代マンガの全体像』はこれにて幕引きとなります。
理由は90年に書かれた作品なので、それ以降がないからです!(涙)
いままでありがとうございました☆
次回へ続く!
2007年 1月17日 制作
勝手ながら下記のHP・文献を参考に書かせて頂きました。 ありがとうございました! 「現代マンガの全体像」 双葉文庫 著・呉智英 http://www.starleaf.net/~airami/index.html フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 http://ja.wikipedia.org/wiki オレ流ホームページ 「オレ流少年ジャンプ論」 http://oreryu.eco.to/ |