第25回 第2部 黄金期 1990年〜97年 ジャンプ帝国の終焉








『スラムダンク』









日本中がバブリンで沸いた90年代初頭!


ジュリアナブームなど!バブル経済が
最盛期を迎えました。


しかし、92年の
バブル崩壊により

日本経済は一気に奈落の底に突き落とされ


リストラ不良債権など不景気の風が吹き荒れます。





一方で、海外においての日本のマンガ・アニメは


アジアでは
『ドラゴンボール』を中心にマンガブームを巻き起こします。




そして、
大友克洋さんの映画版『AKIRA』が欧米で大成功を収め


ジャパンアニメーションが世界で認識されるようになるです。









不況しらずのマンガ・アニメ業界




日本中が不景気で苦しむ中

日本のマンガ市場は
6000億円を突破!


そして、少年ジャンプは発行部数を

600万部突破と驚異的な数値を叩き出します!



この頃は

「不況知らずのアニメ・マンガ業界」


とも呼ばれ、アニメでは
「ガンダムの再来」と言われた


『新世紀エヴァンゲリオン』が空前の大ブームとなります。




そして、97年には
宮崎駿監督のアニメ映画『もののけ姫』


1420万人を動員し、当時の歴代興行収入記録を更新!





更に、
オタクの祭典

「コミックマーケット」こと「コミケ」が大きく成長します!



96年からは
ビックサイトで開催されるようになり


動員数も
10万人近くを集めたことから


マスコミでも注目を集めるようになるのです!






『新世紀エヴァンゲリオン』(1995〜96)
ガンダムの再来!内気で気弱な主人公!








高まるマンガ規制の動き




絶好調のマンガ・アニメ業界でしたが



その一方で表現の
規制を強める動きが加速します。


89年に日本を震撼させた
女児連続殺害事件の犯人が

マンガ・アニメの
ファンだったとの理由から



大手の
新聞社や、力をつけてきた市民団体により

マンガ批判への声が高まります。




それらの動きは
『言葉狩り』とも呼ばれ


「差別的」「暴力的」なマンガへの規制・抗議などが活発になりました。




抗議を恐れた
出版社「自主規制」と呼ばれる独自の規制を行い


女性の
グロテクスな表現、差別用語などの規制を行います。




しかし、例えばキャラクターのセリフなどで


『バカ』は使ってはダメでも『アホ』はOK♪


などの一貫性が無く、わけのわからない規制が多発し


マンガの表現・ストーリー展開に大きな
支障が生まれます。




そして、最初は
エロマンガなどが規制の対象となりましたが




手塚治虫さんの『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』と言った名作まで


差別用語黒人差別を理由に


一時期、復刻・再販できない
異常事態にまで陥ります。




91年、この状況に
石ノ森章太郎さんが代表とする


「コミック表現の自由を守る会」

のマンガ家さんの団体が結成され


マンガ家の
「表現の自由」を守る運動を展開します。


その後、この会は
「マンガ防衛同盟」と改称されました。





これ以後、行き過ぎた表現規制への
批判が高まり


一時期のマンガ・バッシングの勢いは収まりましたが



この時期に書き直し封印されたマンガも多く

現在でも大きな
議論を呼んでいます。






マンガ版『鉄腕アトム』に出てくる黒人さん達
この表現は現在では差別的なんだとか・・・。








少年ジャンプ 600万部時代




この頃の編集者は
堀江信彦さんの時代。



少年ジャンプは

『ドラゴンボール』『スラムダンク』『幽☆遊☆白書』の3本柱が


人気を牽引し、他誌を圧倒!




95年には
653万部と日本雑誌の新記録を打ちたて


マンガ業界において、その地位は不動のものとなっていました!







<90年代から連載が始まったの主なジャンプマンガ>

 『スラムダンク』 90年〜96年 井上雄彦
 『幽☆遊☆白書』 90年〜94年 冨樫義博
 『花の慶次』 90年〜93年 原哲夫
 『珍遊記』 90年〜92年 漫☆画太郎
 『BOY -ボーイ-』 92年〜99年 梅澤春人
 『地獄先生ぬ〜べ〜』 93年〜99年 原作:真倉翔 画:岡野剛
 『NINKU -忍空-』 93年〜95年 桐山光侍
 『とっても! ラッキーマン』 93年〜97年 ガモウひろし
 『るろうに剣心』 94年〜99年 和月伸宏






特に、
『スラムダンク』は当時、マイナースポーツだった日本に


バスケットブームを巻き起こし


ダンクシュートは社会現象にもなりました!



『スラムダンク』は現在、1億部を越える発行部数を誇ります。






『スラムダンク』(井上雄彦)
そのマンガ表現は他のマンガ家に大きな影響を与えた!








ドラゴンボールの呪縛




さてさて、ジャンプ人気を引っ張っていた
『ドラゴンボール』の人気は


衰えず、人気投票でも不動の
1位を保っていました。



しかし、その人気とは裏腹に、作者の
鳥山明さんは


89年の
マジュニア編での最終回を考えていた様ですが


編集者側が連載終了を拒んだため、連載が続行されます。



もはや
「ドラゴンボール」の人気は


鳥山さんの個人の枠を越え、ジャンプの売上・会社の株価にまで


影響を与えるほどの
モンスターマンガにまで成長してしまったのです。



その大きなプレッシャーは
鳥山さんを大いに苦しめたと推察されます。





89年にアニメ版
『ドラゴンボール』の放送がおわり


翌週から
『ドラゴンボールZ』がスタートします。




ちなみに
「Z」鳥山明さん自身が付けたそうで



理由はアルファベットの最後が「Z」だからこれ以上

後に続きが無いことが
理由だそうです。




鳥山明さんがいかに『ドラゴンボール』呪縛から

逃れたかったか、よくわかるエピソードですね〜






『ドラゴンボール』 16巻より 1989年
「マジュニア編」の終了は最終回の展開だったが・・・








ドラゴンボールの連載終了




鳥山さんの意思に反する形で連載が続けられた


『ドラゴンボール』でしたが、1995年にその時がやってきました。



実に
10年に及ぶ『ドラゴンボール』の連載が終了します。



細かい経緯は明らかにされていませんが


集英社最高クラス幹部が最終決断を下すと言う


超・異例の連載終了だったことだけは確かでした。




その後、95年で
653万部と最高部数を記録した発行部数は


翌96年には初めて発行部数を下回り
588万部まで一気に減少!



97年には更に
405万部まで下がります。




これ以後、
6000億円市場だったマンガ市場は徐々に衰退を始め


現在では
5000億円市場にまで低下しました。


同時にアニメ・ゲーム市場もマンガと共に
衰退が始まるのです。




『ドラゴンボール』の連載終了は


黄金期を迎えていた日本マンガ・アニメ業界の


終わりを告げる
象徴的な出来事だったのです!







ジャンプ帝国の終焉




94年の
『幽☆遊☆白書』の連載終了。


そして 95年の
『ドラゴンボール』の連載終了。


とどめは 96年の
『スラムダンク』の連載終了。





『幽☆遊☆白書』『スラムダンク』の連載終了の際も


唐突であったり、明らかにストーリーが短縮されたりと


様々な
疑惑を呼び起こしましたが、長くなるのでハショります。





いずれにせよ、
人気絶頂の3本柱を失った少年ジャンプ


人気作品の引継ぎが上手く行かず、
低迷が始まります。




一方で、
少年マガジンは確実に発行部数を伸ばし


当時、連載中だった
『金田一少年の事件簿』が大ヒットを記録!



95年には
堂本剛(Kinki Kids)さんが同タイトルのドラマで主役を演じ


日本中に
推理マンガブームを巻き起こします!




その影響を受け、他紙ではこぞって
推理マンガを連載を開始します。


94年には
少年サンデー『名探偵コナン』の連載も始まりました!




そして97年、
少年マガジンは発行部数を415万部まで上乗せ

24年間首位を誇っていた少年ジャンプを引きずり落とします。




王者として君臨した
『ジャンプ帝国』の時代は終わりを告げ



時代は再び
ジャンプマガジンサンデーなどの少年誌がしのぎを削る

激動の時代へと突入することになったのです!






『金田一少年の事件簿』(1990〜2000年)
推理マンガのさきがけ!ジャンプをついに打ち砕く








次回へ続く!





2007年 1月30日 制作


勝手ながら下記のHP・文献を参考に書かせて頂きました。

ありがとうございました!


フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

http://ja.wikipedia.org/wiki


日本でのマンガ表現規制略史

http://picnic.to/~ami/kisei/ryakushi.htm


オレ流ホームページ
「オレ流少年ジャンプ論」


http://oreryu.eco.to/





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