第13回 アメリカ(その3) 「ハリウッドとディズニーの誕生」
映画・アメコミ・CG技術・アニメ
どれをとっても世界の娯楽文化のトップを走るアメリカ。
世界に現在も大きな影響力を与えてるアメリカ文化を抜きに
世界の文化は語れません!
今回はアメリカ文化の強さの秘密に迫りたいと思います!
映画の発明
映画が発明されたのは1895年!(1894年という説もあり!)
現在の映画のスタイルを確立したのは
あのアメリカの発明王・エジソンさんが最初だとも言われてます。
でも結構、異説があるんですけど、めんどくさいんでほっときます。
当時の娯楽と言えば、大道芸や舞台演技ぐらい。
あの普及の名作「ピーターパン」も舞台演劇から
大人気となった作品なんですよ!
映画は革命的な庶民の娯楽となりました。
ただ当時は無音声のサイレント映画と呼ばれてまして
現在の映画とはかなり異なります。
日本でも映画の弁士って職業がありましたよね!
「はぁ〜、ぺんぺん!」(笑)
しかし、当時はまだ「大英帝国」イギリスの時代!世界の中心はヨーロッパでした!
その中で、ひときわ映画がはやった国がフランスです。
アメリカはまだまだ小国でした。しかしその立場が一新する出来事が起こります。
「発明とは99%の努力と1%のひらめきである!」
by トーマス・エジソンさん(1884〜1931)
不動の映画大国へ
政治・経済・娯楽その栄華を極めたヨーロッパ
しかし、突如として激動の時代に入ります。
それはヨーロッパを主戦場とする第一次世界大戦の勃発でした。
特に隣国ドイツとの激しい戦いなったフランスでは、もはや映画どころではありません。
フランスの映画の巨匠と言われた監督は次々とアメリカで撮影をすることになります。
おまけに前代未聞の大戦争は、アメリカに空前の好景気をもたらします。
これが、ハリウッドが躍進する大きなきっかけとなり
1920年代には実に世界の60%の映画がハリウッドで製作されるまでに発展します。
一方、軍事・経済力 世界一を誇ったイギリスは第一次世界大戦ではドイツに大苦戦
あわや敗戦まで追い込まれますが、アメリカの参戦で辛くも勝利。
名実共に政治・経済・娯楽の中心はヨーロッパからアメリカに移ったのです。
こうして、アメリカが作られる映画は「自由の国アメリカ」の
イメージアップに大きく買う事になります。
娯楽文化の発展には平和であることが大事であるのですが、
その国の政治力や経済力が大きく関係するのです!
ウォルト・ディズニー
アメリカのハリウッドに次ぐ文化の象徴 ディズニー社
現在、売上3兆円と世界的にも超・ビック企業ですが
その始まりはアメリカの映画文化発展と共に成長してきました。
ディズニー社は大きく二つの時期に分けられます。
第一期はウォルト・ディズニーと言う奇才が
次々と革新的なアニメーションを作り出します。
1927年、世界で初めてのトーキー映画(音声付映画)を見たウォルト・ディズニーさんが
アニメにも応用し、ミッキーマウスの初登場作となる『蒸気船のウィリー』を発表します。
そして1938年、アニメーション技術の粋を集めた
長編カラーアニメーション『白雪姫』が発表されます。
この技術は現在見ても見劣りしません。
そのクオリティーはまさに職人技とも言えるでしょう。
『白雪姫』は世界中で大ヒットとなり、アカデミー賞を受賞!
ディズニーの今後の方向性がこれ機に確立していくことになりました。
余談ですが、マンガの神様 手塚治虫さんは日米が戦争で文化統制の最中、
極秘にディズニーのカラーアニメーションを入手し
大きな衝撃を受けたと語っています。
『白雪姫』1938年公開
ディズニー初の長編アニメ
ディズニーの躍進
その後も、ウォルト・ディズニーさんは精力的に作品を発表します。
1940年 1941年 1942年 中略 1950年 1951年 1953年 |
『ピノキオ』 『ファンタジア』 『ダンボ』 『バンビ』 中略 『シンデレラ』 『不思議の国のアリス』 『ピーターパン』 |
どれも名作ばかりです。日本で言うスタジオジブリみたいな物ですね。
ただ、ディズニー社がスタジオジブリと大きく違う点は
スタジオジブリは宮崎駿さんがマンガ→アニメ→アニメ映画と始まったのに対し
ディズニー社はアニメ映画から始まり、そして実写映画も多く手がけていたという点です。
アメリカのアニメーションは映画の発展と共に大きくなっていったのです。
そして1955年にディズニーさんがずっと構想していた
世界初のディズニーランドが開園することになります。
「映画の世界を現実の世界にする」
と言う発想は見事に当たりました。
ディズニーランドではゴミ処理も全てディズニー世界への演出にこだわり
建物も映画的な手法で建物を大きく見せたりと
映画のセット技術がおしみなく使われています。
ディズニーランドは世界的にもその地位を確立したのでした!
しかし、1966年のウォルト・ディズニー氏が他界。
最大のアイディアマンを失った第2期のディズニー社は
会社の方針が迷走しだし、会社存続の危機に陥るのです・・・・
この続きはまた次回!
ウォルト・ディズニーさん(1901〜1966)
ディズニー社の創設者
第14回 アメリカ(その4) 「ディズニー 苦悩と躍進」へ
勝手ながら下記のHP・文献を参考に書かせて頂きました。 ありがとうございました! フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 http://ja.wikipedia.org/wiki OCTOPUSさんのHP http://www5f.biglobe.ne.jp/~st_octopus/ ディズニー千年王国の始まり〜メディア制覇の野望〜 |