第14回  アメリカ (4) 「ディズニー 苦悩と躍進」
















ル〜ルル♪ ルルル ル〜ルル♪




(♪
「徹子の部屋」のテーマソング♪)













みなさんこんにちわ!ツカ子の部屋のお時間です!




今日のゲストはディズニーの
黄金時代を作った男!




マイケル・アイズナーさんです!パチパチパチ〜♪

















・・・と冗談はさておいて、今回は売上がなんと売上3兆円!


世界の夢の企業
ディズニー社の躍進のお話です。



これは一応、前回の続きになります!










激しい権力闘争



さて、第一期で
ウォルト・ディズニーさんが

現在のディズニー社の
基盤をつくりました。




1966年の
ウォルト・ディズニーさんの死去は


それまでの
ディズニー社の基盤を揺るがします。




まず、後を継いだのが兄の
ロイ・O・ディズニーさん




しかし、ディズニー
親族やその役員の間で


激しい遺産・
権力闘争が繰り広げられます。




なにより、
致命的だったのが、ディズニー社の

生命線である映画作りを
怠ったことでした。





1970〜1980年のディズニー社は、
『白雪姫』『ピノキオ』など


過去の名作の
リバイバル上映ばかりになり


この間の新作映画はあまり力をいれませんでした。





この頃の名作と呼ばれる映画は

『くまのぷーさん』ぐらいしかありません。







ディズニー乗っ取り騒動!




70年代以降、ディブニー社の
映画部門は見る見る低迷

ディズニーランドの入場者も減少してしまいます。





ディズニー社
の低迷が続く中


『ミッキーマウス』などの巨大な企業資産が狙われます。





1984年、
事業家によるディズニー株の大量買占めによる



『ディズニー社 乗っ取り計画』

が表沙汰になります。






買収を
阻止するため白羽の矢がたったのが


ABC放送の副社長として、経営を立て直した実績を持つ


マイケル・アイズナーさんでした!




こうしてディズニー社は、
ディズニー・ファミリー体制の

しがらみから、
脱却することになります。









ディズニー 再建へ!




アイズナーさんが、まず力を入れたのは


低迷しきった映画部門の建て直しでした。




もともと、
ディズニー社は実写映画も多く手がけていたのですが


この頃は俳優の給料が
高騰!映画制作費が高くなり



新作映画が作られない状況が続いていました。





そこで目をつけたのが、
ピークを過ぎた監督・俳優を


積極的に起用することにより制作費を抑え



小ヒットで確実に
稼ぐと言う、映画作りでした。





その結果、ディズニーの新作映画は徐々に作られるようになります。





そして、
「下手な鉄砲、数撃ちゃ当たる!」と言わんばかりに


制作費は格安の
1400万ドル(約16億円)で制作された




『プリティ・ウーマン』(90年)が大ヒットを記録し


その年の全米興行収入第1位に輝きます。





主演の
ジュリア・ロバーツさんは


ゴールデングローブ賞・主演女優賞

を受賞しました。







こうして、ディズニーの
映画部門の稼ぎ出す利益は

徐々に
ウハウハになって行ったのです!







『プリィティー・ウーマン』(1990)
リチャード・ギア主演 ジュリア・ロバーツの出世作となった










ディズニーの躍進




マイケル・アイズナーさんは傲慢に汚いなどの

批判がかなりありました。




しかし、ディズニー社にとって、テレビ業界出身で実績のあった彼を


CEO(最高経営責任者)に置いたことは適材適所でした。



アイズナーさんはディズニーが撤退状態だった


「テレビ業界」への進出に力を入れ始めます。





この頃、どこの家庭にもテレビが普及し


ビデオデッキも広まっていました。





そこでディズニー社は
『ピノキオ』『白雪姫』などの


過去の名作から最新作までのビデオリリースを行い




『白雪姫』は180万本とバカ売れします。




家庭ビデオ市場はディズニー社のドル箱となり


多くの
利益をもたらしたのです!









ディズニー・アニメーション映画の復活




90年代に入ると、60年代以降低迷していた、


ディズニー伝統の
アニメーション映画が復活を果たします!




まず、大ヒットなった89年の
『リトル・マーメード』


を皮切りに以下の映画が大ヒットしました!





91年



『美女と野獣』


92年

『アラジン』

94年

『ライオンキング』





ディズニーのアニメ部門は完全に復活をとげたのでした。




映画の復活により次第に低迷していた


ディズニーランドの観客も増えていきます。






そして96年、ディズニー社はアメリカの3大ネットワークである


ABC放送を買収!



ディズニーはメディアまで進出することになります。





こうしてディズニー社は完全な復活を果たし


黄金時代を迎えることになったのです。






ディズニーの黄金時代を作った伝説の男
マイケル・アイズナーさん










夢のテーマーパークの正体は映画だった




よく、日本のマスコミがでテ−マパークの経営について



「ディズニーランドのサービスを見習うべき!」




と言った意見が多々ありますが


サービスを見習ったところで、
無駄だと思われます。





ディズニーランドは、
アニメ映画テレビという


魅力的メディアがあって初めて



「ディズニーランドに行きたい!」


って発想が生まれるわけです。





他のテーマーパークでディズニーの真似をし

て映画作るなんてまず
不可能!






表面だけのサービスばかりクローズアップして



「だからディズニーランドに人が来るんだ!」



と単純に
結論付ける人が多いと思います♪










マイケル・アイズナーさん 退任へ




さて、95年にディズニー映画では

革命的な出来事がありました!




それは、
ディズニー社配給・
ピクサー制作の


フルCGアニメ
『トイ・ストーリー』


興行収入が
400億円も記録します!




その後、
ピクサーは01年に『モンスターズ・インク』が大ヒット!


そして、03年には
『ファインディング・ニモ』も大ヒットと連発!




CGアニメは新しいジャンルを確立したのです!





しかし、問題があったのが我らの
アイズナーさん




制作方針の対立から、
ピクサーとの契約が


2006年に契約
打ち切りまで事態が発展!




それが
原因だったのかはわかりませんが




2005年にアイズナーさんはCEO(最高経営責任者)から

退任することが決定します!





実に20年以上に及ぶマイケル・アイズナー体制が


ついに終わることになりました。





その後、ディズニー社ピクサーとの関係が修復し


正式にディズニー社による買収が決定します。





ディズニーの著作権を盾に、
傲慢
拝金主義など


様々な批判を受けた
マイケル・アイズナーさんでしたが




彼がディズニー社の株式時価総額を


実に
20倍以上に押し上げたその功績は




伝説として歴史に名前を残すことになったのです!








CGアニメの革命!歴史を塗り替えた
 『トイ ストーリー』







次回もディズニ−とハリウッドを取り上げます。






・・・だんだん日本文化から離れて行ってるような(笑)




2006年 10月29日制作
2007年  2月12日修正



勝手ながら下記のHP・文献を参考に書かせて頂きました。

ありがとうございました!


フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki

NIKKEI NET
「マイケル・アイズナーってどんな人?」

http://smartwoman.nikkei.co.jp/career/news/article.aspx?id=20060424b1002b1

Hotwire japan
浜野保樹の「日本発のマンガ・アニメの行方」
http://hotwired.goo.ne.jp/culture/hamano/040224/textonly.html

ディズニー千年王国の始まり〜メディア制覇の野望〜 
有馬哲夫 2001 1/5 NTT出版


ディズニーランドという聖地
能登路雅子 岩波新書 1990 7/20






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